2017年04月08日

ぴじき日記?名前の由来篇?

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ぴじきです。


ブログを書くのが久しくなってしまいました(写真も先月のものです)。
近頃は陽気になりまして、相も変わらず宅の主人は意識を朦朧とさせておるゆえ、ワタクシも登場の機会は何度かあったのですが、あろうことかワタクシもこの暖かさにあてられてしまっておりました。

今回はワタクシの名前について、少しだけお話し致します。
ワタクシの現在の名前、こちらは以前の主人であるオジサン、主人の妹御、そして主人の3人で話し合って決めて下さったように思います。
ワタクシの経歴は少々複雑で、生まれは北海道、育ちは鹿児島、現住所が大阪という、この小さな身で早々に日本縦断を遂げたのですが、北海道のブリーダーの元で母と暮らしているときは別の名を持っておりました。
チェミリーという名です。
なんて可憐で、響きの良い名前でしょう。しかし残念ながら、当時そう呼ばれていた頃の記憶がありません。
チェミリー。
本当の名前を聞いたとき、主人の妹御は大笑いしたと言います。なんて失礼な。と思いますが、ワタクシもそう呼ばれるとむず痒い気持ちになってしまいます。

「ぴじき」
この由来は簡単です。
海藻のひじきに幼い頃の私が酷似していたため、それに破裂音を加えて小型犬のキュートさを演出したのでしょう。決まるまでは、三時間ほど、それは長い話し合いが行われておりました。ワタクシはこだわりが強い方ではないので、聞くでもなく聞いていたのですが、「マロン」「コットン」「黒コットン」「モップ」「ダスキン」「100番」「黒豆」「豆」など脈絡のなさそうでありそうな、そしておそらく見た目からの連想だけで浮かんだ候補があげられておりました(心なしか食べ物が多いですね)。
この他にもたくさんありましたけれど、「ぴじき」は全会一致で決定したようです。

ただ、この名前はなかなか覚えられにくく、早朝の散歩をしているおばあちゃんには「くまちゃん」と呼ばれ、夜の散歩で顔見知りになった近所の中学生には「わかめ!」と追いかけられます。近所の方々も「ぴーちゃん」とあだ名をつけ、なかなか正式な名で呼ばれることはありません。
主人でさえ、「ぴじ」「じき」と気分によって使い分けておりますが、叱るときは「ぴじき!」と言うので、そんな時ワタクシは、くるりとひっくり返ってお腹をみせ、悪気無さそうにへらへら笑ってみせます。そうすると主人も最初はぷりぷりしておりますが、持続しないのかいつの間にか忘れてよーしよしよしよしよしと垂れ下がりそうな目で可愛がってくれます。単細胞、という言葉はもう死語でしょうか。最近は通じない言葉も多くなってきて、寂しく感じます。先日主人が言うに、「岡っ引き」という言葉が通じなかったとのことです。年配の方々にも、死語だと言われ、では、岡っ引きを指すときには何て言えばいいのか、岡っ引きは居なくなっていないのに(居なくなってますけれど)、「岡っ引き」の名称が死語になるのは遺憾であると仰っておりました。犬に言われても。と、思ったのですが暫くしてワタクシは重要な示唆を得たような気がしました。叱られる時であっても、よしんば正式な名称でなくても、名前を呼ばれているうちが花であると。存在はしているのに名前が死語になってしまうことほど、悲しく、寂しいことはありませんからね。

なんだか立派なことを言えたような気がしますので、今回はこのへんで。
posted by えむ at 19:02| Comment(0) | 日記

2017年03月30日

春になると

少し間が開きました。
何をしていたかというと、しばらく気を失っておりました。
動いてはいました。生きておりました。けれど時々、頭に靄がかかったようにふわーっとなることがあって、それがしばしば、いつもより頻繁に起こっていたと、思いねぇ。
春だから。

このように春だからという理由で変なことが起こります。私だけでしょうか…。もう今は、始まりの季節ハート(トランプ)️とわくわく高揚しているばかりでもなく、実は少し憂鬱にもなっている。理由は、何か考えれば出てくるでしょうが、「そんなもんやろ」の一言でも話はつく。そんなもんかな?
母や妹を見てると不思議になる。どうしてそんなに元気なのだろうか。いいえ、私も元気にですよ。一般的な大人から見ると普通なのかもしれない。でも彼女たちの、春に対する強気さは、真似できない。

春に対する強気さて何だ。

頭がまだぼっとするし、眠気もとれない。
春だからだ。

桜まだ咲いてくれるな。
posted by えむ at 08:47| Comment(0) | 日記

2017年03月21日

昔の日記

ーーー2010年9月ーーー

昨日は京橋花月スペシャルでした。友人Nが言うように、今一番面白いバラエティですね。お金かかってないけど。

最初のトークが一番おもしろい。
最盛期のダウンタウンを彷彿とさせる会場の盛り上がりっぷり。
……いける! と思った。
さんま、紳介、たけしのお笑い怪獣世代
ナイナイ、ダウンタウン、(ウンナン?)のバラエティ世代、
次の世代のトップは
間違いなくブラマヨだと
そう、確信した。


ーーーーーー


今と余り変わってない。
私の7年どうなってるの。
posted by えむ at 21:25| Comment(0) | 日記

2017年03月17日

春のお日和

先日、美容院で髪を切ったときに、美容師の人と話をしていて、
「やっぱり、わかってもらえる人にだけわかってもらえればいいというのは違うと思って」
という結論になった。
言ったのは私じゃなくて美容師の人だ。
今日はなんだかカジュアルでポップですね、でも最近はカジュアルでポップな感じですね、昔は(6年前くらい)もっと怖かったですよね、と私が言ったからだ。
そして上の台詞、それから「お互いに丸くなりましたよね」と、返された。
丸くなったのかなと思った。
むしろ感情は激しくなった気がする。でも、顔に出さずに誤魔化すのは上達したかも。
私が日々「修行だ修行だ」と言い聞かせているのも感情を顔に出さずに消し去ることにある。いや、でも、これには副作用があって、昔話を教訓にしたい。

昔々、保育園の頃から、すなわち歩いて走れるようになってから私はそこそこ足が速かった。嘘みたいだけど。かけっこでは常に1番だったし、木登りも鉄棒も誰よりも上手くできてた。思い出補正じゃないよ。証人として母を召喚します。娘さんは運動が良くできる子供でしたね?「はい」
でも小学五年生のときに思った。馬鹿げてる。白線を引いた上をわーっと走って、1番!2番!と言うののどこが面白いんやろ。と思ってしまった。それは一般的な思春期の到来であった。私は力を抜くようになった。わーっと走らずに、へらへらして走った。六年生になって、よしそろそろ本気出したろーと思って走ったら、早く走れなくなっていた。そしていつまでも幸せに暮らした。めでたしめでたし。

この昔話からわかることは、自分にとっては一回きり、一時的に手を抜いたつもりでも、一度手を抜くとそれが実力になってしまうということだ。
あれ、でもちょっと待って。私は普段、気合いを入れて「修行だ!」ってって感情を圧し殺している。この昔話を教訓にするならば、一度感情を解き放って、ゲーム(主にlineポコポコ)で失敗した際に怒りを露にしたり、窮地に陥って泣き崩れるなどの所業に出ると元の冷静を保っている自分に戻れないということだろうか。ならばいつまででも、生きている限り私は修行中の身であらねばならないのか。それは禅の悟りとよく似ている。いや似ていない。よくわからなくなってきた。私以外の人はもっとわからないだろう。それはそれでもいい。わかってもらえる人にだけわかってもらえれば、それでいい、と私は思った。

おしまい
posted by えむ at 22:03| Comment(0) | 日記

2017年03月12日

意味がない(憂鬱)

満員電車が嫌いだ。
そら満員電車が好きなんて人はおまへんで。いるならば圧倒的少数派、私も多分に漏れずできれば空いている車両で座りながらスマホゲームをしてパズルを崩しながら、飽きたら眠って、欲を言えば横向きのシートで目前にパタンと倒れてくる簡易テーブルみたいなので朝食を食べつつコーヒー片手に目的地に向かう、ようなことをしたい。けど、無理だ。
それは新幹線とかの仕様で、在来線のローカル線でやっとこ街に出ていく僻地に住む私のような者はそんな優雅な列車で移動できるはずもなく、縦向きのシートに、けれども座れることもできずに、すし詰めに詰められた車両の中で米粒のように押し潰され固められて移動するより道はない。卑下するでも悲観するでもないのはそんな米粒たちが周りにもたくさんいるということで(いるからスシになるのだ)、およそ社会生活を営んでいる人々、同じような時間帯に出て同じような時間帯に帰ってくる人々は私と同じ米粒の運命を辿っている者が多数だからである。
やっかいなのは、その米粒一つ一つに意思があって様々な想念を巡らせながらスシになっているという点で、最初は「このポジショニングでは肩と足に負荷がかかりすぎている、少しずらしたい」という実践的な問題解決に関することを思考しているけれど時間が経つにつれ「イケメンですよって今考えても凄いタイトルや」とか愚にもつかないことを考えてしまう。他の米粒たちもそうなのだろうか、は知らないけれど、もしかしたら国家転覆を企てる計画を立てているかもしれないし、靴下の表と裏はどちらが汚いのか知らんというフワフワしたことを考えているのかもしれない。いずれにせよ間違いないのは、一個の独立した人間が意思も思想も関係なく一つ処に固められていて、それでもやっぱり思考しているという落ち着かなさである。これは釜茹でシラス一匹ずつに目があると認識したときに感じる気持ちと似ている。だってそうでしょう。
このサラリーマンにも家庭がある。この高校生にも受験がある。甲子園がある。私にだって何かある、はず。そう認識し始めるとただ混んでいるというだけで固められたくない。立ち上がれシトワイヤン!そう車内を、見渡して目につい。た、嗚呼少し肺が圧迫、されて息が、苦しい、けどそう、着物の女性が数名、いたのです。

そういえば、ホームにもちらほら、袴姿の女性たちを見かけた。道すがらには特攻服の男性もいた。何これ? と疑問に思っていたけど世は卒業シーズン。袴と特攻服ってのも変な組み合わせだけど、きっとそう、間違いないでしょう! 卒業するという行為から卒業した私にもわかる。新たな門出に立つとき人は普段と違うことをしたくなるのだ。晴れとけっていうのだ。きっと平生は襟つきのシャツとチノ・パンツを穿いたゴルフ場でもウェルカムな格好に違いなく候。そんなことはどうでもいいんですけどこんな密着した乗車率120%の車内で和服なんかでいたら着崩れないのかと、心配になった。卒業式というと晴れの舞台。大勢の家族、同級生に見守られ旅立つ儀式の中の儀式。思えば、学校という場所も満員電車のようなものなのかもしれない。大勢の人間と、同じ処に詰められ、ポジショニングを考えながら多少の我慢をして同じ目的地へ向かっていく。頭の中から尾崎豊の「卒業」が聴こえてくる。私の学生時代も…学生時代は…1限目が体育のときは「お腹が痛かった」と言って遅刻し、水泳の授業は見学(放課後に補講)、休み時間には早弁をしているような生徒だった…。あれ? 結構自由。米粒的にはパラパラの炒飯くらい勝手。頭の中で尾崎豊がパラパラを踊り出す。そんな馬鹿な。
というようなことを考えていたら電車が着いた。

職人の握ったしゃりが口に入れた瞬間ほどけて行くように、目的地に到着した途端、米粒たちは各々まろやかに散らばっていった。それらは舌の上でネタと絡み合い絶妙なハーモニーを奏でるしゃりであった。一粒、一粒が際立った絶妙な具合の米粒たちであった。その中で私という米粒は一粒、何か不協和音を感じながらホームを歩いた。感じながらも人とぶつかることのない自分は、やはり調和のなかにいる米粒だと思って悲しくなった。
posted by えむ at 15:49| Comment(0) | 日記

2017年03月07日

ぴじき日記

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ぴじきです。

現在、宅の主人は炬燵で眠りこけておりますゆえ、ワタクシが代わりに更新致します。
驚愕する方々もいらっしゃるでしょうが、文明の進化によって犬がブログを書くことくらい造作もなくなりまして(たっちぱねるというやつです)、主人もすなる日記というものをワタクシもしてみむとてするのです。茶番だなんて思わず、暫しお付き合いのほどを。

さて。
ワタクシがこの家に来たのは2歳のときです。幼少の頃は鹿児島の穏和な気候で蝶よ花よと育てられ、天真爛漫に育ちました。主人には「お転婆」と言われますが、大阪の家は犬には狭すぎるのです。
鹿児島の家には庭があり、畑があり、近所には仲良しの猫がいました。それが突然、それまで一緒に住んでいたおじさん(現主人の父上です)に、大阪に置いてきぼりにされてしまったのです。びっくりしました。ワタクシは大阪に空がないと言いました。本当の空が見たいと言いました。主人は驚いて空を見上げましたーー。
それでも。
大阪での生活は心地よいものでした。まず、ベッドで眠ることができます。鹿児島では家の中にいる間はゲージに入れられておりましたので、当然眠るのも一人きり。それは大変、いくつになっても、心細く寂しいものでした。今は家中を自由に歩き回っておりますし、主人と一緒にベッドで寝ます。主人は寝汚く、放っておくといつまでも惰眠を貪っているので、私が起こしてあげなければいけません。世話が焼けます。
それに、大阪ではワタクシの大好きな自動車がそこら中を走っております。ワタクシは速いスピードで移動する物体を見るともう、いてもたってもいられなくなって、思わず向かって駆け出してしまう癖があり、いつも怒られてしまうのですが、本能には逆らえません。他のトイプードル達がそうなのかというと、それは知らないのですけど…。
狭い家も、狭い公園も、慣れればどこも都です。

ワタクシが愛して止まないもののひとつに、散歩があります。
散歩とは朝と晩、主人と二人でそこら中を歩き回る行為のことです。ワタクシはこの時間になるとたまらなくなってしまって、寒い日も、暑い日も、雪の日も、風の日も、毎日、休むことなく歩き回ってきました。ただし雨の日はご勘弁、ワタクシは濡れるのが大の苦手です。
外に出ると毎日たくさんの発見があります。新入りの犬のマーキングした跡、猫の通り道、追いかけ回したくなるような渡り鳥が増えたこと、初めて見る草、花の匂い。ワタクシはそれらを丹念に嗅ぎ、観察します。するとなんだか催してきて、その度に行屎走尿を繰り返し、また揚々と歩き出します。尾籠な話で申し訳ありません。しかしこれが犬の醍醐味なのでして、避けて語ることはできないのです。
その間、主人は何をしているかというと、ふんふん鼻唄を歌いながらワタクシの後ろをついてきたり、ワタクシが落とした糞を拾ったり、かと思えば急にリードを放り出して隠れたりしております。その場合、ワタクシが慌てて探しに行くまで出てきません。 時にはワタクシを凄い勢いで追いかけ回してカラカラ笑っておりますが、こっちはびっくりするやらでちっとも楽しくありません。時間に余裕のあるときは、ボウルを持ってきてくれます。ピンク色の、まるめた鳩くらいの大きさの、柔らかいボウルです。主人とワタクシはそれでサッカーをします。ワタクシは楽しくて堪らず、ボウルは友達、いつまでもボウルと戯れていたいと願うのですが、主人はすぐに息が切れて「ひぃ、ひぃ」と情けない声をあげてすぐお開きにしてしまいます。普段から運動不足なのです。それでも、いくら情けなくっても、主人は主人、ワタクシは尻尾を軽く振りながらかけ寄って、帰路につきます。
これが、ワタクシの愛する散歩、素晴らしい散歩です。書いているとまたウズウズしてきました。いけない、いけない。

今朝、春になったら桜を見に行こうと主人が言いました。大切な散歩の最中に、何を改まって。その時期がくれば、わざわざ他所へ見に行かなくても、桜など近所に咲いているのに。それこそ散歩しながらだって。そう思いながら、様々な空想を巡らせている主人を横目に、ワタクシも春の来るのが待ち遠しく、心躍るような足取りになるのです。
posted by えむ at 22:58| Comment(0) | 日記

2017年03月04日

ボンビノスの怪

春がきた。

犬を飼っていて良かったことアンケート、「季節の変化を感じられる」は常に上位にランクインしているが、実際その通りだと思う。元々がインドアだから、朝と夕と毎日散歩に出るだけでわかることが多い。まず日の出と日の入りの時間、それから虫、鳥の鳴き声、気温は日によってばらつきがあるけど、それでも徐々に変わっていく。気温が変わると歩いている人の数も変わる。そうすると雰囲気が変わる。春が来たなあと思う。いとをかし。

でもそうした環境の変化よりも季節に敏感なのはスーパーの並びで、イベント先取り合戦が凄い。こっちはボーッとしててたまに何曜日か忘れることだってあるのに、木曜日は毎週安売りしてるし、お正月が終わった途端恵方巻の予約、チョコレートのPRが始まるし。それが終わるとひな祭り、ホワイトデー合戦がきて休む暇がない。私だって、今年こそ姪の初節句で気合いの入った雛祭りをしようとしているけど例年はほったらかし。どうせなら旧暦でおやりなさいよ、と斜に構えてる。
並ぶおやつのバラエティーも春仕様、2月頃から苺味だらけになる。斜に構えてても、苺好きにとってこれは嬉しいこと。一方秋は、実りの秋、美味しい物だらけであるはずの秋は、おやつ界ではハズレ回で、栗味、南瓜味はことごとく界隈では不評で、買いに行かなくても後悔はしない(しつこい)。そんな訳だ。

前述した通り今年は姪の初節句で、日曜日に親戚が集まってお祝いをする。わぁい。幼子、取り分け身内の赤ちゃんというのは何でこんなに可愛のかよ…姪という名の宝物や…と私は1週間ぶりに会えるので今から楽しみにしているけれど、ホストである姉はてんやわんやらしく、人数分の料理の買い出しとメニューを考えている。定番のちらし寿司と、唐揚げとかお刺身とかあればとりあえずいいかな?と言うので母と提案、「菱餅は?」「食べたい?」「別に…。ひなあられは?」「いる?」「いらん…」「はまぐりは高いからいいかなと思ってんねん」そうそう。二枚貝もお決まりでした。お愛想でお吸い物くらい作たらいいんちゃう?でも確かに、立派なのは高い。商戦で賑わうスーパーでもはまぐりコーナーがあったけど2個で1500円なんてのもあって驚愕した。あいや。そして思い出した。あれ。ボンビノスガイはどうだろうか。

説明しよう(懐かしい)。
ボンビノスガイとは私が鹿児島に行っていた間、道の駅で出会った貝である。はまぐりに似た貝で、身は食感が良く味も似ているけれどはまぐりよりも安価。このときは父と庭で網焼きにして食べた。ああ、あののんびりした日に帰りたい…大分麦焼酎…じゃなくて、はまぐりがなければボンビノスガイを食べればいいじゃない!単身、スーパーへ探しに行った。

(つづく)
posted by えむ at 16:29| Comment(0) | 日記

2017年03月02日

手帳

2月も下旬に差し掛かり、南九州の方では梅花が咲き誇っている(と書いて放っておいたらいつの間にか3月になってた、あららら)。
先日奄美大島での春一番が発表され少しずつ春が近付いてきて、もう少し暖かくなったら、どこかに出掛けようかと、とりとめのないことを考えた。さて今後の予定は、と思って気付いた、今年の手帳をまだ用意していない。

例年であれば、実は贔屓にしているアーティストがいて、その人のライブグッズの手帳を使用しているけど今回は所々諸々の事情があって行くことができず、ま、そろそろピンクとかリボンとか花柄とかのが使いたかったし!と己を慰撫して諦めた。そしてそのまま放置した。普段からそれほど予定を詰めるタイプではないけれど、どうしても外さないことがままあって、そういう時はやっぱり書いておきたい。今時、スマホでスケジュール管理すればええんちゃう?との助言も頂きましたがやっぱり紙に書くのとデータに入れておくのとでは違う。私はオールドタイプなのだろうか…。通帳もそう。最初、銀行口座を作るときに、ネット上で確認できるWeb通帳だと100円お得ですよと言われ紙の通帳は発行しなかった。するとなんということでしょう。お金の動きが全然わかりません。たまにその気になって確認しようとしてもパスワードを間違える。パスワードを入力して、ま、ここから紙に出力できるやんしたらええやん、という段階になって、せやったら通帳発行してもらった方が良かったのでは、と思った。そんなだから、オールドタイプでも手帳が欲しい。

手帳に書いているのはスケジュールばかりではありません。その年に買ったCDの情報とか、気が向いたときに計る足の太さとか(まだやってる)、ライブのセットリストの候補曲とか、落書きとか、今度使ってみたい言葉とかを残している。ちなみに、今でも覚えていてまだ使っていない言葉は「イルカはクジラが特殊小型化したものなので…」と「人と人って、時間を共有することで、良くなって行く関係って、あると思うんだ…」というもの。もし私がこれらを発したときは100%の受け売りです。そんな訳だからもし手帳がなかったらどうなるか。次回良いことを言いたいときに何も出てこなくて、わわ、となっちゃう。あらこの人気が利かないな、と思われちゃう。それは嫌だ。それに、紙に何かを書き記しているとタッチパネル操作しているより頭よく見えないかな。いい加減己を曝しなさい。

そろそろばれてしまうかもしれないけれど手帳について書くのに飽きてしまった。ほれやったら早よ買いなはれ、で済む話だからだ。早よ買います。手帳ないから予定を入れるのを控えてる。ってこともないし。実害が然程ない。レッスンの予定はカメラで撮ってる。それにしても、どうして手帳に刺してあるボールペンはいつも鞄の中で分解されてしまうのでしょう。分解されないボールペンもセットで欲しい。
posted by えむ at 08:44| Comment(0) | 日記

2017年02月24日

旅と井上ひさし

大阪から鹿児島までフェリーで行く場合の航路は、
大阪湾南港ATCから太平洋を横断して鹿児島の志布志港まで。

列車だと直通でも4時間弱、飛行機だと手続きを合わせても2時間くらいかな、
のところを、フェリーは、夕方発、翌朝着の計21時間もかかる。

全く近くない、それほどの時間をかけて先週わざわざ、フェリーで行ってきた。
それには簡単な理由があって、一言で済む、
ぴじき(トイプードル・5歳)が同行していたからである。
飛行機で貨物扱いされたらどうしよう、
かといって列車で吠えたら肩身が狭すぎる、と考えていつもフェリーで行く。

フェリーの場合でも、船室に連れ込める訳ではなくて、
ペット専用のゲージ部屋があってそこに入れられる訳だけれど、
面会時間内だといつでも会いに行ける点でまだ安心、
自らの意思で生存確認ができる。

2018年に新造船予定の新・さんふらわぁ(船名)、つまり新ふらわぁではペットも同泊できる部屋ができるとのことで楽しみだ…。
閑話休題、そんな訳ばかりでなくともフェリーというのはなかなか昭和の雰囲気漂う旅で面白いのですが、それはこの間、友人のKちゃんに話して満足してしまった。
ここでは割愛しますね。

で、1週間滞在してきた。
さあ鹿児島の地を踏んで、特に今更観光ということはない。
実は度々行っている。なぜなら父が住んでいるからだ。
フェリー到着場の志布志港から錦江湾を挟んだ向かい、薩摩半島の奥の方に枕崎という所がある。
鰹の加工をよくしていて鰹節の回で美味しんぼに登場したその枕崎に父がいる。

父が住んでいるというとよく田舎や故郷と言われるけど本当は違って、
縁もゆかりもない土地だけれどただ父が住んでいるから遊びに行っている。

役得というのか、そうでなければ南端のこの県になかなかくる機会はない。
観光名所と言えるのは天文館、武家屋敷、桜島とか、遠い所で佐多岬、食べ物は黒豚に桜島大根(食べたことないけど)、焼酎、くらいではないでしょうか。

あまり知られていない所だと、開聞岳、池田湖とあと、温泉がそれはたくさんある。
考えてみれば火山に囲まれてるのだから当たり前なのかも、しれないがPR下手なのか、
私が寡聞にして知らなかっだけなのか、そんな印象はない。

他に温泉県の名を冠する大分県があるから仕方ないのかな。
とりあえず枕崎で鰹を食べて温泉ばかり入って過ごした。

ここまで書いて、でちょっと長くなっちゃった。
ま、いっか。

井上ひさしは文字の発明は時間への反抗だと言いました(ちょっと違うかも)。
そうすると私はここまで随分反抗している。
そんなにして何がしたいの、と言うとこれは旅行記を書きたいんじゃなくて、
改めて、ブログを再開せんと思いたったところの慣れない文章を書くためのリハビリだ。
道理で、ちょっと変でしょう。
それももうすぐ終わる。

ところ変わって帰りのフェリーの中、揺れる船室の中で考えた。
バカンスというのはあっという間の出来事だ。
あっという間過ぎてまだ始まっていないんじゃないかと思うくらい、一瞬だった。
でも一瞬と永遠は同じ事なのかもしれないなぁ、
一瞬の中にだけ永遠があるのかもしれない…と哲学になりそうなところで眠りについた。

普段、寝付きが悪いのが悩みの一つだけどバカンスの間は驚くほどスムーズに眠れた。
人の通常はこれほどスマートに眠れるものかと感心して旅中Kちゃんに報告した。

すやすやと眠る復路の海の上、まだバカンスは続いていた。
次の日からはまた慌ただしい日常が始まる。
ブログも始める。
次からはもう少し短くて読みやすくする。
posted by えむ at 00:03| Comment(0) | 日記